追分宿は中山道の宿場では最も標高が高くおよそ千メートルに位置しています。
江戸時代、軽井沢宿・沓掛宿・追分宿の3つの宿場を「浅間根腰の三宿」と呼び、特に北国街道の分岐点に位置する追分宿は、参勤交代の大名や善光寺参詣の旅人などで大変にぎわいました。
現在行われている「しなの追分馬子唄道中」は当時の旅人の姿を再現して盛り上がるお祭りです。
追分宿の江戸口にある追分宿郷土館には、当時追分宿で使用していた品々や茶屋の一部を復元したコーナーなどが展示されています。
浮世絵今昔
渓斎英泉が『木曽街道』で描いた浮世絵
壱:英泉画『廿弌 木曽街道追分宿浅間山眺望』 国立国会図書館デジタルコレクション
弐:『中山道浪漫の旅』東編 岸本豊 信濃毎日新聞社
「浅間山麓の追分原」
浮世絵を描いたと推定される場所から同じ方向を撮影し、現在の風景と対比