八幡宿は、周辺の八幡・蓬田(よもぎだ)・桑山地域の住民が移住してつくられました。千曲川を渡り、わずか27町の距離に八幡宿があります。
両宿場の間を千曲川が流れているため、宿場間の距離がきわめて短くなっています。
また、八幡宿の東側はのちに市川五郎兵衛によって開発された「五郎兵衛新田村」の下原であり、強粘土質の水田に適した土壌でもあります。
文久元年(1861年)、中山道を下ってきた皇女和宮の一行は、11月6日に和田宿に宿泊し、翌7日に芦田宿で昼休みをし、八幡宿へ宿泊しています。
代々、本陣・問屋を務めた小松家には、和宮から下賜された折り紙なども伝えられています。
浮世絵今昔
歌川広重が『木曽海道六拾九』で描いた浮世絵
壱:広重画『二拾五 木曽海道六拾九次之内八幡』国立国会図書館デジタルコレクション
弐:『中山道浪漫の旅』東編 岸本豊 信濃毎日新聞社
「布施川に架かる百沢橋」
浮世絵を描いたと推定される場所から同じ方向を撮影し、現在の風景と対比