中山道26番目の芦田宿は、芦田(依田)氏の浪人、岩間忠助と土屋右京野左衛門が、神官今井曽五郎とともに、慶長2年(1597年)に蓼科神社に納めた文書(願文)により、新駅の設立を願い出たことが伺えます。
このことから北佐久地域では最古の宿場とも云われています。
江戸時代、徳川幕府の植樹政策により街道沿いに松や杉が植えられ、笠取峠のマツ並木の景観は往時の中山道を偲ばせてくれます。
時代の変遷とともに、建物は老朽化が進み、保存が困難となり、時には火災により焼失したものもありますが、その中で現在にその形を残し伝えるものに寛政12年(1800年)に改築させた本陣があります。
浮世絵今昔
歌川広重が『木曽海道六拾九次』で描いた浮世絵
壱:広重画『二拾七 木曽海道六拾九次之内あし田』国立国会図書館デジタルコレクション
弐:『中山道浪漫の旅』東編 岸本豊 信濃毎日新聞社
「笠取峠に至る松並木」
浮世絵を描いたと推定される場所から同じ方向を撮影し、現在の風景と対比