御本尊
千手観音
(「御代田町誌図説編」平成4年)
観音寺堂を撤去後、堂内で安置されていた千手観世音菩薩像、観世音菩薩像は、現在、面替区で保管。
寺伝
創建年月不詳。中興開山僧俊静。江戸時代(1603-1868)岩村田や横根方面から上州へ小荷駄は馬に載せて観音堂前の日影通りを進み、賃馬稼ぎの明け暮れに人と馬の安全無事を千手観音に祈った。「佐久第二十三番札所」と伝う。
明治9年(1877)廃寺。
堂は平成時代(1989-2019)に撤去、跡地に石灯籠、双体道祖神、裏山に祠や石仏が残る。堂内に大峰天川弁天大般若経600巻、諸札版木が残り、画僧田口翠潭が描いた掛軸が飾られていたという。真楽寺末派。
伝承
本井戸(もといど)
参道石段の前方に所在。岩層から連続して幾条かの清水が出ている。この清水は平板な石で囲って水が溜められている。この清水は弘法大師が諸国を巡業したとき、ここの人達が飲み水を得るのに不便であるのを見て持っていた杖で岩をついて穴をあけ水を出してくれたのだと伝う。
翠潭坊(すいたんぼう)
昔、児玉新田という所に翠潭坊といわれた画家がいた。方々を流浪して歩いた末、そこのある女と好い仲になって、そこに落ち着いたのだという。生まれ所はわからない。そこに住むようになってからは近所のことなので、面替の観音様へは度々遊びにきたものであった。ある夏のこと、翠潭は面替の田植えを見物しようと湯川の北岸にあたる崖の上で友達2、3人と酒盛りを始めた。そのうちに翠潭は酔って崖下に墜落した。友達があわてて下へ行って見ると死んだと思った翠潭はひとり、砂の上に起き上がって観音様の方を見つめていた。のち翠潭坊は、面替の観音様が平生信心している自分を助けて下さったのだといって、落ちた時の絵を描き、額にして観音様に上げた。その額は本堂の南側に掛けられていたという。
跡地
天狗山観音寺跡
御代田町面替532
※ 御代田町面替地区火の見櫓を目指す。面替地区案内図に旧観音堂跡地を示す。
納経所
なし