御本尊
千手観音
本尊は厨子に安置。かつて御開帳をしていたが、数10年はしていない。普段は厨子前の前立本尊を参拝。
観音堂
平安時代初期、天長3年(826) 天台宗三世円仁、慈覚大師が東国巡錫のみぎり観音堂を建て祀ったがはじめと伝う。以前、山腹の「堂平」にあったが、火災のため、現在地に本坊を遷した。平成16年(2004) 屋根を銅板葺に改修。
付近
参道1丁目ごとの三石勝五郎歌碑12基、巨大杉・赤松、閼伽(堂北側30~40m岩壁から染み出る清水、仏に供える浄水)
石造百体観音像99躯(聖観音、千手観音、十一面観音、如意輪観音、馬頭観音等)、有賀玉吉石造千手観音像47躯、堂天井絵、香炉岩、芭蕉句碑など
伝承
熊の穴
御代田久能入にある穴は高さ1間余り、4~5間入った所で二股に分かれる。この穴は閼伽流山観音堂の穴まで続き、久能入から鶏を放したら「コケコイヨ」と鳴いて出た。闇の中から急に明るい所に出たので「あかるさん!」と命名?
慈覚大師
((株)歴史図書社発行「信濃宝鑑(上)」昭和49年)
観音堂上の頂、六角展望台から、平安時代初め、麓は湖で、慈覚大師が「比叡山から見下ろす琵琶湖を似ていた」と伝う。(展望台は高所で要注意)
あかずの観音
閼伽流山にあかずの観音があって、その観音様は昔、親沢にあったものだそうだ。扉を開けると親沢に帰ってしまうというので、開けないでおいた。それでいつか、あかずの観音と呼ばれるようになった。その後、閼伽流山から親沢の妙音寺に帰山した住職が「ああ観音様を持って来るのだった」といって、死んだという。
行事
大晦日の晩「観音堂開放」
所在地/納経所
閼伽流山観音院明泉寺
佐久市香坂西地2772 電話 0267-68-3802
※ 明泉寺からつづら折りの参道を1.5キロメートル登る、標高約900mに観音堂は建つ。
※ 参道は未舗装で途中まで車で登れるが、1丁目ごとの歌碑を見ながら徒歩、約1時間がお薦め。