御本尊
千手観音
舟形光背を持ち、姿、彫りとも優れている、高さ50センチメートルほどのくすんだ座像
観音堂
観音は川平観音堂地籍にあったが、山崩れで埋没した。江戸時代、寛永2年(1625) 創建、僧雄算が開山した親沢妙音寺境内に移したが、昭和34年(1959)伊勢湾台風で本堂・観音堂が倒壊した。観音は川平集落の檀徒総代宅に移し、千手観音像等を描いた版木も保管。
平成22年(2010) 檀徒総代が川平橋場地籍に新観音堂を建立した。
伝承
観音堂の観音
かつて向井田辺りに集落があり、大水によって家が流され、残った人達は川平集落に移り住んだ。水枯れで住めなくて移ってきたともいう。
向井田の北隣りに観音堂地籍があり、昔、妙音寺の前身で観音が置かれていた小さな観音堂があったという。林道から100m下った田の縁、松の脇に江戸時代、享和2年(1802)9月記銘の石仏が残る。
向井田東隣りに窪田地籍があり、建物があったという。そこに居た住職が冬の間に人知れず亡くなっていた。農道大曲りから500mほど尾根筋を上がった道筋に無縫塔が残る。
観音様の休み石
分教場東方坂の中途に休み石という石がある。昔、ある人が親沢の観音様を他所へ移そうとして背負ってこの石まで来ると、急に重くなって一歩も出れなくなった。腰を下ろして休んで、さて出掛けようとしてみると観音様がいない。驚いてもとのお堂へ行ってみると、いつの間に観音様は帰っていた。幾度背負い出しても前の通りであった。ふと考えたその人は百万遍の数珠の親玉を外して、これと一緒に持って坂にかかった。今度は一息に登ることができた。
所在地
観音山誕生院妙音寺跡
小海町親沢8052
新観音堂
小海町川平橋場(個人敷地)
※ アクセス
国道141号線を折れ、千曲川を渡って町道を東に5キロメートルほど進む親沢集落。集落内の茂来山(登山口)案内板のある丁字路を400mほど北に入る。道から一段上がった畑の隅に「妙音寺史蹟」と刻む石碑が建つ。新観音堂は川平集落入口筆塚など石造物群がある川平橋付近で一段上の個人敷地内
納経所
成田山薬師寺
佐久市原467 電話 0267-62-0559
※ 妙音寺兼務住職