本文へスキップ
HOME観光情報歴史・文化歴史信州佐久郡三十三所観音巡礼信州佐久郡三十三所観音 第十九番札所「松原神光寺」
観光情報

信州佐久郡三十三所観音 第十九番札所「松原神光寺」

御本尊

千手観音

高さ約90センチメートル、平成10年(1998) 本堂完成に合わせ迎えた。

寺伝

20番.png

藤島山清浄院神光寺

宗派天台宗。平安時代、天長3年(826) 僧圓仁慈覚大師が開基、創建。天慶2年(939) 松原諏方神社(上社・下社) 創立、神光寺が別当を務めた。

19模型.png

明治時代、上野国長楽寺から神仏分離令を伝達され廃寺、当時の住職が神主になる。旧神光寺跡に本堂・三重塔礎石が残る。

19番札所三重塔.jpg

三重塔(長野県宝、宮大工小林源蔵昌長は野沢出身、嘉永2年(1849)上棟式)は前山貞祥寺境内移転、大般若経600巻(佐久市有形文化財)は武田信玄が奉納し平賀中善寺に移る、本尊薬師瑠璃光如来は八那池秀光寺へ預けた後、醫王院へ

19番普賢菩薩.png

松原諏方上社本地仏「普賢菩薩座像」、諏方下社本地仏「千手観音座像」「地蔵尊」は稲子弥勒寺へ預けたという。

昭和45年(1970)松源寺住職が神光寺ゆかり小海町弥勒寺の住職を務め、神光寺再興に取り組む。平成7年(1995) 庫裏新築。平成10年(1998) 京都三千院の往生極楽院を模す本堂完成。

19番最新.jpg

海尻山醫王院薬師寺(南牧村)

旧神光寺支院で継承寺。他支院は泉竜寺(川上村梓山)、秀光寺(小海町八那池)、極楽寺(小海町馬越)、万性院(佐久穂町大石)。中興開山、僧正海。明治初年(1868) 本尊薬師瑠璃光如来遷座。明治2年(1869)本尊阿弥陀如来像移す。

19番.png

平成10年(1998) 十一面千手千眼観音、平成12年(2000) 観音堂建立。

19観音堂.jpg

松島山神宮寺

鎌倉時代建久5年(1194) 源頼朝創立、松原湖東に所在。江戸時代、天和年間、廃絶し、藤島山神光寺に引き継ぐ。

伝承

松原の七不思議1

星見の松

御射山の原にあって見たところ二抱え半もあり、そこら幹は二つに分かれている。御射山神事の行われる8月27日お昼頃にこの松に登って空を見ると昼間でも星が見えるという。御射山の原は、また流鏑馬の原ともいって、松原神社西北約2キロメートル余りの所にある。

神座遠の松、神座尾の松(かざおのまつ)

鳳凰松または鳳尾松ともいって、松原神社から御射山の原へ行く途中の坂の上にあった。見たところ五抱えもある大木で、そこから8本に分かれて。丁度、鳳凰が翼を広げたように枝が地上にまで垂れていた。御射山神事の時は神様が小休止される場所となって神事が執り行われる。この松は風のない時でも鳴っていたということであるが、惜しいことにすっかり枯れて、今は4本の幹だけが残っている。

もろ葉のすすき

葉が向き合って生えたもので、御射山の原のどこかへ、いつか生える。これは心の正しい、神様のお心に叶った人でなければ、容易に見つけることができないといわれている。今までにこれを見つけた者は、何十年か前、二、三人あっただけである。

所在地

観音堂跡

小海町豊里松原4352 神光寺跡

新神光寺

小海町豊里4703 電話 0267-93-2100

※ アクセス 松原湖東、長湖の湖尻近く交差点を過ぎ稲子集落。大月川に架かる稲子橋を渡って川沿いを約200メートル上り再び橋を渡り、カラマツ林の中に進む

清水山弥勒寺観音堂説

小海町稲子612

※ 稲子集落の外れ、弥勒寺脇に山に入る古びた急な石段を登り、石仏群、石碑があり、その先に弥勒寺本堂とされる観音堂がある。

納経所

東光山海岸院松源寺

小海町小海979 電話 0267-92-2644

神光寺.png

 

海尻山醫王院薬師寺

南牧村海尻528 電話 0267-96-2631

十九番.jpg

カテゴリー

地図

お問い合わせ

佐久広域連合事務局 庶務課 企画係

〒385-0043 長野県佐久市取出町183番地

電話:
0267-62-7721
Fax:
0267-62-7727