御本尊
聖観音(所在不明)
寺伝
籠宮(こもりのみや)は下畑千曲川沿い左岸にあった水神とされ、江戸時代、寛保2年(1742)戌の満水で流され、その時、付近にあった医王寺に本尊が移されたという。
青龍山医王寺は江戸時代、元禄元年(1688)下畑に建立。元禄3年(1690) 高野山御本尊宝塔院へ医王寺住職真海が願い出た書面があり医王寺所在は確認できる。寛保2年(1742)籠宮が戌の満水で流され、医王寺に本尊が移されたといわれるが、当時、佐久第二十二番札所に選ばれたのか、医王寺観音堂と紹介されたこともある。医王寺が籠宮の別当寺か関連も不明。
近世下畑村史考に医王寺はあるが籠宮はない。その後、医王寺は廃寺となるが地名で寺裏が残る。現在、寺跡に数体の石仏、下畑区で建立した木造標柱「青龍山医王寺跡」が畑の一角に立つ。
伝承
医王寺が廃寺の際、大光寺(佐久穂町大久保)へ医王寺本尊と共に籠宮の本尊も安置してあるとの説があるが、大光寺には籠宮の本尊聖観音は見当たらない。また籠宮は下畑諏方神社に合祀説、その後、諏方社は湊神社(南牧村海ノ口)に移転した説もある。
所在地
籠宮跡
佐久穂町下畑千曲川沿い左岸(所在地不明)
医王寺跡
佐久穂町下畑寺裏(城山団地東側)標柱「青龍山医王寺跡」付近
籠宮合祀説
諏方神社 佐久穂町下畑(公民館隣接/駐車場有り)
籠宮を含む諏方社移転説
湊神社(南牧村海ノ口) 本尊 建御名方命、罔象女命(水神)
納経所
なし(佐久仏教会手拭朱印「佐久二十二番 籠の宮 聖観世音菩薩 佐久穂町下畑」)