御本尊
聖観音「日影堂観世音」
堂内に本尊聖観音(高さ20数センチメートル)を胸に納めた柄香炉を持つ聖徳太子尊像を中心に、その周囲に多数の千手観音や馬頭観音等百番観音像が並ぶ。
医王寺城など城跡遺構が残る医王寺山の岩窟にあったという。
寺伝
醫王寺は江戸時代、延寶2年(1674)僧大聚が開山。元禄2年(1689)願主舜盛和尚により再興、聖観音は元禄年間(1688-1704)に建立した観音堂「日影堂」に移された。
百番観音木像は元禄4年(1691)から寛保4年(1744)に木像漆箔観音像107体を寄進。元禄5年(1692)本尊聖観世音金佛を中心に寄進された大型観音像7体安置し、以後、順次、観音像が寄進された。像が壊れ、紛失し、現存87体。平成15年(2003)当時の臼田高等学校インテリア科生徒が修復。
伝承
井出豊前守家久深く観音を信じ城山に観音堂を建立。井出豊前守家久より六代目井出五右衛門、仙石越前守秀久に随い、大坂へ参り戦場にて危うきこと度々あり。観音を信仰し加護によって帰陣す。元禄4年(1691)井出甚左衛門、堂を再造し元禄5年9月18日入仏。その節、地形普請の砌青石の碑を掘り出す。年号月日切り付けあれども明らかに見えず。今醫王寺にある板碑は即ち之ならん。
醫王寺板碑は卒塔婆一種。板状石材、秩父青石という緑泥片岩で造る。中央に梵字「キリーク」阿弥陀如来、右下に梵字「サ」観世音菩薩、左下に梵字「サク」勢至菩薩の阿弥陀三尊を蓮弁上に刻む。北朝時代、文和2年(1352)年号を刻銘。
所在地
日影観音堂
佐久市臼田諏訪3713醫王寺境内
※ アクセス 国道141号から西にこんもりした医王寺山が見える。木々に溶け込むように日影堂が建ち、醫王寺が並ぶ。(近世は峯通り近道)
納経所
慈眼山醫王寺
佐久市臼田諏訪3713 電話 0267-81-4488