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信州佐久郡三十三所観音 番外札所「阿弥陀堂」

御本尊

阿弥陀如来

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朱塗りの石像で朱を疣(いぼ)につけると治るという。小泉家祖先が矢島から八幡に行く時に土中の阿弥陀様を掘り起こしたという。

堂宇

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阿弥陀堂は小泉家で所有し管理する。欅の下の小さなお堂を村の人達は無縁堂と呼んだ。「佐久第二十四番札所」と伝う。

伝承

矢島五輪塔

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滋野一族、根井行親(佐久市根々井)子、千曲川・布施川を境とする地を領有。木曽義仲が平安時代、治承4年(1180)丸子依田城に兵を挙げると矢島四郎行忠は手兵20騎を伴い馳せ参じ、武勇の名を轟かせた。源平盛衰記によれば京では法皇をお助け申した情誼厚い武将。武運つたなく粟津原に於いて戦死したが、その分骨は故郷の地、正學山寶泉寺(望月城光院末派、寛永元年(1624)創立)に葬られた。境内にある鎌倉時代後期の五輪塔(高さ1.5メートル)は矢島四郎行忠を供養したものという。

室町時代、應仁元年(1467)矢島一族は出羽国(現秋田県)由利郡へ移住した。矢島城古城・新城は矢島四郎行忠の居城。本城は蓼科山系のこの地に突き出た尾根の先端に築かれた城。

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南側に二条の堀切があり、三方は沼地で人馬の近寄り難い要害の地。

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矢島凍み豆腐

昔、武田信玄が上杉謙信を攻めるためにはるばる甲州から兵を率いてやって来て矢島西方にある虚空蔵山の頂で宿営をした。この虚空蔵山は信州から甲州に戦況を知らせるために信玄が烽火を打ち上げる場所としたものである。ここに信玄が宿営したとき、矢島城主矢島某氏が大将の食膳に豆腐を出したところ、ちょうど寒中であったので、豆腐はすっかり凍っていた。信玄は「この凍った豆腐が美味である」とほめて、これを薄く切って凍らしたらよいだろうと奨励した。これが矢島名物、氷豆腐、凍み豆腐の由来である。
(佐久教育会歴史委員会「佐久口碑伝説集北佐久編」昭和53年)

所在地

矢島阿弥陀堂

佐久市矢島

※ アクセス 正學山寶泉寺(佐久市矢島399-1)西向かい尾根先の墓地内、歩いて約3分

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納経所

なし

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